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05/01/24
虫の知らせ

 昨日の朝方、妙な物音に目を覚ました。
  一度寝付いてしまうとちょっとやそっとでは起きないくらい眠りが深いのだが、このときは、物音を敏感に感じ取り、さらに異様な気配に頭が冴え、そのまま再び眠りにつくことが出来ず、気配を確かめてやろうと起き上がった。
  そして、まだ夜明け前の暗い中で、玄関に続くふすまをそっと開けて、玄関のほうを覗くと、そこに黒い影がうずくまっていた。薄暗がりの中でより暗い影の塊としか見えず、顔かたちもどんな服を着ているのかもわからないけれど、そこにいるのが男であることはわかった。
  そのとき、ぼくは、自分が感じた気配が、この影であることを確信して、敏感に反応できたことに満足して、何するでもなく、ただ5mほど先にうずくまる影を 見つめるだけだった。そんな怪しい影を前にしたら、恐怖で立ちすくむか、ただちに何か武器になるものを探して手にとって対抗するかすべきところなのだが、 何故かそんな必要はないことがぼくにはわかっていた。
  そして、しばらく見つめているうちに、影はスッと目の前で消えてしまった。 (今の影は、いったいなんだったんだろう)
  と、ふすまにもたれて考えているところで目を覚ました。夢の中での覚醒の度合いと実際に目を覚ましたときの覚醒の度合いがほとんど変わらない妙な感覚……。
  時計を見るとまだ6時になったばかりだった。
  そのまま寝付けなくなってしまい、本を読んだりしているうちに明るくなってきた。朝のうちに届け物をするという友人との約束を思い出して、8時過ぎに自転車で10kmあまり離れた友人の家へ。
  その帰り道、携帯が鳴った。
  出てみると、母からで、今朝方、伯父が亡くなったとのこと。
  昨年4月に階段から落ちて足を骨折して入院していた伯父は、リハビリの最中に軽いくも膜下出血を起こした。これは、伯父の異変にすぐに気づいた医療スタッフのおかげで緊急手術が行われて軽微なもので済んだ。
  その後、怪我も頭のほうも順調に回復し、12月の初旬の段階では、年末には退院できるとのことだった。見舞いにいかなければとずっと思っていたが、従兄弟 が「退院してから、ウチのほうに来てくれよ」というので、そのつもりで、ずっと順調に回復しているものとばかり思っていた。
  ところが、そろそろ退院の準備をという月末に急に体調が思わしくなくなり、そのまま入院がずるずると長引いた。ノロウィルスの院内感染だった。抵抗力がさ ほど弱っているわけでもなく、病院関係者もさほど事態を重く考えていなかった。ところが、突然、様態が悪くなり、そのまま逝ってしまった。それが23日の 未明のことだった。
  4年前に伯母が亡くなり、そのとき伯父は最期の別れに、棺の中の伯母に長い口づけをした。50年以上、仲良く連れ添った夫婦だった。その後、とても寂しそうにしていた伯父は、迎えにきた妻に素直にしたがって彼岸へ渡る道を選んだのだろう。

―― uchida

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05/01/16
アウトドアの技術革新

 しばらく前から「培倶人」と「バックオフ」という雑誌で、アウトドアやライディングギアを解説する連載をしている。
  ぼくは、気に入ったギアがあると、それをとことん使い尽くすというスタイルなので、身の回りにあるものは、ほとんどが何年も使いつづけてきて体の一部になったようなものばかりだが、最新のギアに触れて、試してみると、その技術の進歩には驚かされる。
  振り返ってみると、ぼくが山登りをはじめた30年近く前から、アウトドアギアは驚くほどの進歩を遂げてきた。まず、懐かしいというかこんなことを懐旧する と自分の歳を感じてしまうのが、ドームテントの登場だ。それまでのウォールとグランドシートが別体の「家型」テントから、一体型のドームテントに変わり、 テントの設営は圧倒的に早く手軽になり、行動時間を拡大してくれた
  それから、エルゴノミックデザインを取り入れて担ぎやすく、パッキングもしやすくなったザック。コンパクトで強力になったストーブやランタン。アルミからチタンと進化してこれも信じられないくらい軽くなったコッヘル(クッカー)……。
  そして、なんといっても個人的に人類が月に到達したくらい画期的に映ったのは、ゴアテックスが拓いた「防水透湿」という夢の機能の実現だった。
  人一倍汗っかきのぼくは、それまでのゴム引きやハイパロンコーティングの雨具では、雨の中で行動しているうちに内側がビショビショになり、しまいには雨に濡れたほうが涼しくて快適とばかりに雨具を脱いでしまったものだった。
  初めてゴアテックスの雨具を着て槍ヶ岳に挑んだとき、嵐の中を肩の小屋にようやく辿り着いて、冷え切った山小屋の土間でザックを下ろすと、雨具の肩から汗が蒸気となって立ち上った。それを見たとき、「ああ、これで雨が憂鬱じゃなくなる」と心から感動した。
  近年では、LEDヘッドランプの登場がエポックメイクな出来事だった。長時間の点灯が可能になりしかも明るさも格段に増し、コンパクトで球切れの心配もな いLEDランプは、単にヘッドランプとしての用途以外に、テント内でのランタンの変わりや読書灯などとして、電池切れを気にせず使い続けることができる。
  ストーブはマイクロサイズのガスストーブが登場し、ランタンもしかり。
  クロージングでは、最近使い始めたファイントラックの製品に目を見張った。これまで、アウトドアでのレイヤード(重ね着)は、基本的に「アンダー」、「イ ンナー」、「アウター」という3レイヤードで考慮するのが当たり前になっていたが、ファイントラックは「ベースレイヤー」、「ミッドレイヤー」、「アウ ター」というコンセプトをベースにする。
  ベースレイヤーは、3レイヤーシステムでいうアンダーウェアというだけでなく、アンダーウェアの下にさらにもっと肌の機能に近いレイヤーを付けるという意味を含んでいる。そのコンセプトを具体化したのが、「フラッドラッシュスキン」という製品だ。
  これは、汗を吸い上げるウィックドライ性能を持つと同時に、表面は撥水加工されて、これの上に着用したアンダーやインナーの保水性が飽和状態に達したとき に水か戻ってきて肌を冷やすいわゆる「濡れ戻し」を防いでいる。しかも、極薄のニット生地のためにぴったりしたアンダーウェアの下に着こんでも、ボリュー ムが出てしまうことがない。
  ミッドレイヤーもベースレイヤーと同様の発想で、今まではインナーかアウターにはっきり区分けされてしまったようなものをどちらの性能も持たせることで、よりフレキシブルに活用できるようにしたものだ。
  「ブリーズラップ」という製品がそのミッドレイヤーコンセプトを具現化したもので、これも薄く軽い生地にウレタンコーティングを施すことで防水透湿性能が 持たされている。この製品の画期的なところは、防水透湿性を持ちながら生地に伸縮性があることで、体にぴったりフィットしたサイズを着用することでバタつ きなどがなくすっきり着られることと、ボリュームが出ないためにインナーとして着用したときに外側への影響が少ないことが上げられる。
  動きが激しいために発汗が多く、さらに外気温が低い厳冬期のアウトドアでは、ファイントラックのレイヤードシステムはまさに理想的といえる。今のぼくの定 番は、まずフラッドラッシュスキンの上下を身に着け、その上からクロロファイバーのアンダーウェアを着る。さらにクロロファイバー製もしくはウールの厚手 のシャツにブリーズラップを着る。ボトムのほうはドライテック生地のパンツをそのまま履く。さらにトップスのアウターはゴアテックスのジャケットもしくは ダウンジャケットといういでたちになる。
  行動中はブリーズラップがそのままアウター代わりで、軽快に動くことができる。このレイヤードシステムだと、今の時期に必須だったフリースのインナー(上 下)が省略できて、ほとんどスリーシーズンと同じようなボリュームになるので、圧倒的に軽快だ。しかも、ウィックドライ性や保温性の点では、従来の3レイ ヤードシステムを越えている。もちろん、これにフリースを加えることも可能で、そうすれば厳冬期の休息でも非常に暖かく過ごすことができる。
  クロージングの分野では、ゴアテックスに代表される防水透湿素材の登場があまりにも衝撃的だったため、その後の革新はさほどインパクトが感じられなかったが、このファイントラックが切り開いた新しいレイヤードシステムは、ゴアテックス以来の衝撃的な革新といえる。
  それから、もう一つありそうでなかったコロンブスの卵的な革新といえば、シュラフにストレッチ性を持たせて快適性と保温効果の両立を実現したモンベルのス トレッチシュラフが上げられる。シュラフは、インシュレーター(中綿)に高性能な化繊が登場したり、シェルに防水透湿素材が使われるということがあった が、基本的な機能は昔から対して変わることがなかった。
  そのシュラフを大きく変革したのが、モンベルのスーパーストレッチだ。マミータイプのシュラフは、シュラフ内部と外部の空気の交換による熱の消失を防ぐた めに体にぴったりフィットするフォルムになっている。このため、ジッパーをしっかりとクローズしてネック・フェイスコードを絞ってしまうと、文字通りマ ミー(ミイラ)となって身動きがままならなくなってしまった。
  モンベルのスーパーストレッチシュラフは、生地を多めにとり、これをたくし込むようにステッチすることで大幅な伸縮性を持たせることに成功した。シュラフ に包まって、手足を思い切り伸ばしても、インシュレーターによって外気からは遮断されているので対流が起こらずにぬくぬくでいられる。どちらかというとテ クノロジーに偏重した素材革新ばかりが目についてきたこのところのアウトドアシーンの中では、固定化された感のあった「フォルム・構造」の部分でのこの革 新は、視点を変えて見るということで、おおいに他への応用が期待できる。
  先日、モンベルのショップにお邪魔した際に、試しにクロージングからキャンピンググッズまで最先端のものを揃えたとすると、どの程度のボリュームになるの かシミュレーションしてみた。すると、装備重量は、20年前の装備と比べると半分近くに収まってしまうことがわかった。たとえば、1週間程度の縦走登山で フル装備となると、かつては70リットルクラスの大型ザックがパンパンになるほどの装備で、重さは50kg近くになった。それが最新の装備でアレンジする と、40リットルクラスのザックに収まり、重量は30kgそこそことなる。
  軽く、高性能で、扱いやすい、この三拍子が揃えば行動半径は広がり、より困難なチャレンジが可能になるわけだ。なにより、心理的に身軽、気軽であれば、周囲の自然により深く関わろうという姿勢が生まれる。
  長く使い込んで馴染みのある道具もいいけれど、そろそろ全体を見直して、刷新する潮時かなとも思っている。個々の装備についての詳細はOBT本編にも反映していくので、どうぞご期待を!

** 製品リンク by 野外道具屋 **
LEDヘッドランプ
マイクロサイズストーブ・ランタン
ファイントラック
モンベル・スーパーストレッチシュラフ 

―― uchida

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05/01/14
生きる力

  今、仕事で使っている椅子はスチールケース製のエルゴノミックスチェアだが、これは97年に事務所を開設する際に2年落ちくらいの中古を購入したものだ。 それを3年ほど使ったところでファブリックが擦り切れてきて、そのまま捨ててしまおうかと思ったのだが、サイトで椅子の張替えをしてくれる職人さんを見つ けてお願いすることにした。
  東加工所の荒川さんという若い職人さんがわざわざ埼玉から都心の事務所までトラックを運転して椅子を引き取りにきてくれ、1週間後にはファブリックとともにへたっていたウレタンも新しいものに替えられて新品同様になった椅子をまた元気に届けてくれた。
  それから、彼はこの椅子のことを我が子のように心配して、「不具合があったら、いつでも直させていただきますから」と、何かの折に丁寧なメールをくれるようになった。
  その荒川さんから長野県に居を移すという連絡をもらったのは一昨年のことだった。
  一昨年の9月に、荒川家には娘さんが生まれた。
  「湖白ちゃん」と名づけられたその子は心臓に重い障害を持ち、手術が必要だった。その手術とケアができるのは長野県立こども病院しかなく、湖白ちゃんのために一家で病院の近くに移り住むことを決意されたのだった。
  その後、手術は成功し、湖白ちゃんも元気になった。ただし、それでふつうに健康になったわけではなく、まだ幾度かの手術が必要で、経過観察も続けていかなければならないという。
  それでも、長野県立こども病院での入院生活はひとまず終え、今は地元の埼玉に戻って、親子水入らずで暮らす幸せを噛み締めている様子が、湖白ちゃんとの生活を綴ったサイトからひしひしと伝わってくる。
  東加工所は今ではインターネットで椅子の張替えをする受注する工場としてメジャーになっているが、そもそも自慢の職人の腕をネットで一般の人に直接知って もらおうと発想してサイトを立ち上げたのは荒川さんその人だった。インターネットの黎明期ともいえる頃からコツコツとWEBサイトを作ってきた荒川さんだ けに、湖白ちゃんの経過を追うサイトは、同じような心臓疾患を抱えた子を持つ親にとってはもちろん、障害を持つ子の親にとって有意義でかつ励まされる内容 のサイトに仕上がっている。
  そこで登場する湖白ちゃんの今の無邪気に遊ぶ姿を見ると、本来生命が備えている「生きる力」というものをつくづく感じる。
  昨日、ぼくは朝からずっと昭和大学の付属病院にいた。
 ぼくの息子は、湖白ちゃんのちょうど1ヶ月前に生まれたが、生後二ヶ月のときに高熱を発して、生死の境をさ迷った。
  息子は、腎臓と膀胱を繋ぐ尿管の弁が未発達で、細菌を含んだ尿が腎臓へ逆流して腎盂炎を起こした。症状が進んでしまい、敗血症から熱性痙攣を起こした息子は抗生物質が効かず、最後の手段である血液製剤を使うことで一命を取りとめた。
  血液製剤の効果があらわれなければ諦めるしかないと医者に言われ、酸素吸入器と心電計に繋がれた息子は、紅葉ほどの大きさしかない手なのに、驚くほど強い力でぼくの右手の小指を握り締めていた。その息子の手からは、生きようとする力がはっきりと伝わってきた。
  息子は、なんとかその死の縁から這い上がったが、退院した後に再び腎盂炎を起こし、生後6ヶ月までの間の半分を病院で過ごすことになった。その後も、投薬と経過観察を続けているのだが、昨日の通院は、その経過観察のための検査だった。
  そんな事情もあって、湖白ちゃんのことは他人事ではない。
  荒川さんは、湖白ちゃんの病気を湖白ちゃんの「個性」だと書く。そして、その個性とうまく付き合い、より元気な個性に変えていこうと。そんな言葉に力をもらった親も多いだろう。もちろん、ぼくもそんな一人だ。
  それにしても湖白ちゃんからも、自分の息子からも、ぼくは、命が本来持っている逞しさも教えてもらっている気がする。二人が今生きていられるのは、進んだ 医療技術のおかげでもある。でもそれ以上に、二人の「生きる意志・生きる力」がなければ、危機を乗り切ることはできなかっただろう。
  そして何より、障害など意識せずに、元気に明るく成長していく姿を見守っていると、いささか草臥れた中年男にも、新たな「生きる力」が湧いてくる。

―― uchida

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05/01/10
2005年

  戦争の悲惨と天災の悲惨が相次ぎ、地球ももうお終いなのではないかと思わされるような2004年もようやく暮れようというとき、まさに驚天動地の大天災。 締めくくりが未曾有の悲惨となってしまった2004年が明けて、2005年を迎えたわけだが、果たしてこの新年を祝っていいものやら……なんて考えている うちに、もう10日が経過してしまった。
  前回のこのコラムで、唐突に「海」というテーマが浮かんできて徒然に思いつくままを書いたが、まさか、そのすぐ後に海の猛威を見せ付けられようとは……。 ちょうどその翌々日、古い友人と久しぶりに会って、新潟の地震の話から、江戸時代の東南海地震とそれに伴う津波の話などして、その帰り道に別な友人のとこ ろに寄って、インド洋大津波のことを知った。
  年末年始は久しぶりに茨城の実家で過ごしたが、年が変わって気分も一新するというよりは、ここまでリニアにエスカレートしてきた天災やら戦争やらが、そのままエスカレートし続けて行くような気がして、どうにも浮かぬ年明けだった。
  初詣に大洗の磯前神社に出かけ、磯に向かう一の鳥居の下から海の彼方を見やったが、そのとき思ったのは、あのインド洋の津波で、波が引いたときに、もの珍しく思った地元の人や観光客が取り残された魚や貝を拾って沖まで歩いていってしまったというが、自分なら、あるいは日本の海の沿岸で生まれ育った者な ら直ちに異常を感じて、なるべく海から離れるように行動しただろうにということだ。
  波打ち際で子供を遊ばせていると、瀬戸内育ちの妻やその妹は「波が来るから、早く逃げて」なんて黄色い声をあげる。こちらは、地元の海の波のリズムを体が 覚えているので、どの波が、今自分と子供がいる際を洗うかは正確にわかる。そのリズムを捕らえている間は安心して子供を遊ばせているが、ふいに引きが強く なり、打ち寄せる波の間隔が広くなると、次は高波が来ることが本能的にわかって、子供を抱いて逃げる。
  外海の波のリズムは、どうやら瀬戸内の海で育った人にはわからないようだ。また、ぼくの傍らで打ち寄せる波と遊んでいたカップルは、これも高波のリズムを捕えることができず、逃げ切れずに足を洗われた。
  子供を抱いて、新年の海を見やりながら、「今年は、きちんと本能を磨こう」と思った。
  スリランカでは、津波に洗われた自然公園の中で、不思議なことに犠牲になった野生動物は皆無だったそうだ。ゾウやトラなどの大型動物はまだしも、ネズミの 死骸も皆無で、現地の当局者は首をかしげているという。その場所に「癒し」を求めて旅に出かけた日本人ツアー客は、そのほとんどが波に飲まれて命を落とし た。
  アンダマン海のある島では、隣の島が1万人以上の島民のほとんどが犠牲になったというのに、3万人の人口のうち津波の犠牲になったのは6人だけだったそう だ。この島には20世紀初頭の頃の大津波の話が伝説となって伝わっており、波が沖に引いたときに、島民のほとんどが「海の水が引いたら高台に逃げろ」とい う伝説に従って高台に逃げて助かったのだという。
  幼い頃、「年寄りのいうことは聞くものだよ」と、祖母が噛んで含めるようにしつこく言っていた。先人の記憶をしっかり受け継ぎ、自分の本能を磨き、2005年はしっかりと自然の息吹を見極めたいと思う。
  だが、先人の智慧も本能も、人間が起こすもっとも愚かな「戦争」には通用しそうもない……。

―― uchida


 

 

 

BACK NUMBER

◆2005年
12/17 ついつい本気になる
12/05 風景が忍び込むとき
12/01 シャーペンの人
11/27 Coincidence
11/13 ち、はじめてこおる
11/07 ブログの怖さ
09/29 あっちこっち
08/25 夏の想い出
08/12 お盆だから!?
07/31 体調不良
07/20 リニューアル!!
06/13 阿武隈
06/09 アウトドア人種
05/25 アーバンアウトドアライフ
05/21 蝶が岳の夜明け
05/07 人間のペース
03/19 パウロ・コエーリョ
03/13 鏡心
02/05 森の生活
01/24 虫の知らせ
01/16 アウトドアの技術革新
01/14 生きる力
01/10 2005年

◆2004年
12/25 海
12/21 1ヶ月雑感
11/19 ピュアな精神
11/17 夕焼け
11/11 自殺
11/06 若狭不老不死伝説
11/05 MTB改街乗りバイク
10/15 晩秋の台風
10/06 誤算
10/05 停滞
09/27 「自然」と会話できる人
09/15 焦点
09/01 旅
07/31 即身成仏
07/25 高原めぐり
07/07 事故?
07/01 世界遺産
06/28 振り返るということ
06/21 宿神
06/15 精霊の王
06/08 京都
05/22 ソーシャル・ネットワーク
05/18 コトダマ
05/07 シダレアカシデ
04/27 聖域
04/09 空海と高野山展
03/23 量り売り
02/19 フィールドブーツ
02/11 日記
02/10 エスケープを考えない...
02/01 ルートファインディング
01/14 夏の思い出
01/06 リスク
01/04 焦点


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