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glove

 

05/03/19
パウロ・コエーリョ

  ふと書店で手に取ったパウロ・コエーリョの「悪魔とプリン嬢」。花粉症のひどい状態の中で、朦朧としながらも一気に読んでしまった。「アルケミスト」では 無垢な少年のイニシエーションをモチーフにしてスピリチュアルな世界をファンタジーとして語り、「ベロニカは死ぬことにした」では退屈の果ての絶望から覚 醒の輝きへの劇的な反転をドラマチックに描いて見せた。もう一作「ピエドラ川の辺で泣いた」という象徴的な作品とされるものがあるが、ぼくはこれは読んで いない。
 パウロ・コ エーリョはスピリチュアルなテーマを扱う他の作家たちと似たような筆致で語っていくが、しっかりと現実に足場を持っていて、ともすれば作家自らが物語り世 界に没入しすぎて宣教師となってしまう罠には嵌らずにいる。物語の構成も、たとえば「聖なる予言」といった作品のように、作家が妄想の中に取り込まれてし まって支離滅裂なご都合主義に堕してしまっているのとは対照的に、精神主義の世界に深く入り込んでいきながら、破綻の無い物語構成を最後まで保っていく。
  「善」一辺倒のドグマではもちろんなく、善悪、陰陽が常に混ざり合っていて、そこそこに皮肉も効いている。ボルヘスやマルケスと同じラテンアメリカ文学のテイストが心地良い。
  「ベロニカ……」ではクライマックスで陰から陽への転換が劇的に起こって、読者は爽快なカタルシスを得られるが、「悪魔と……」では初めから最後まで善悪 の微妙なせめぎ合いが続いていく。善悪二元ではなく、善悪は全ての場所に並存していて、その時々でシーソーのようにバランスを変えていく。そんな世界観 は、現実に即していて、自己内部の感覚にも合致して納得がいく。
  神が持つ強さゆえの矛盾や無慈悲、悪魔が持つ弱さゆえの憐れみとでもいおうか、矛盾、ダブルスタンダード、ダブルバインドといったものこそが本質であり、だからこそ究極の問題解決や「真理」といったものはありえないことを『ほのぼの』と語る。 

―― uchida

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05/03/13
鏡心

 ガラスのコップをテーブルに置く音、リキュールの金属キャップを捻る音、錠剤をガラスビンから振り出す音、ビデオカメラにテープを挿入する音……普段、人が無意識にバックグラウンドノイズとして感覚から締め出している音が、クローズアップされる。
  雑踏にカメラが向けられると道行く人のそれぞれの靴音や衣擦れの音が、さらに車や電車の騒音も分解増幅され、それまで一塊だったノイズが、ふいに一つ一つの音に意味があることに気づかされる。
  音に含まれた「意味」を感じた途端、スクリーンに映し出された映像は、単に平面の「記録」ではなく立体感を持って迫ってくる。
  普段の会話ではありえない息苦しいほど間近にある人物。普通、人は他人の言葉を聞くときに、吐き出される息が形を成した意味のある言葉だけを無造作に拾 う。しかし、間近にある主人公の言葉には、吐き出される言葉とともに、吸い込む息にも言葉がこもっていることを自覚させられる。
  どこにでもある、なんでもない、ある種陳腐ともいえる日常。切り詰められて情状言語以上の意味を持たない台詞。そんなものにどこまでも肉薄していくことで、ふと気づくと、日常の向こう側に突き抜けている。
  鏡に映し出された自分の顔。その顔に近づいて見つめ続けるうちに、鏡の向こうにいる人間は自分ではない「何か」に感じられてくる。鏡が古代から常に怖れ の対象であったのは、見慣れた当たり前のものを映し出しているはずなのに、気がつけば向こう側に異世界を出現させ、そこに人を引き込んでしまうからだろ う。
  鏡に映し出された世界に見入っているうちに、足元にあったはずの磐石な世界の底が抜け落ちて、どことも知れない変性の世界に漂い出してしまう。それと同じことが「鏡心」のスクリーンを見つめているうちに起こる。
  石井聰亙は、高画質のハンディカメラを使い、自らが「鏡心」を体現したデバイスとなることで、誰もが生きてそれが当たり前だと思っている日常の向こう側へと切り込んでいく。システム化された大作映画の手法ではなく、撮り手の息遣いもそのまま感じられる手法だからこそ見ているこちらの気持ちを鷲づかみにす るようなリアリティがある。
  映画を「観て楽しむ」のではなく、映画を「体験して感じる」。「鏡心」はそんな種類の映画だ。そして、「鏡心」が体験させてくれる世界は、個々の人間の体験や意識の違いによって様々に異なるだろう。

―鏡心公式サイト―
http://kyoshin-xx.com

―― uchida

 


 

 

 

 

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